校長室より

校長室より

第100回入学式式辞 (令和4年4月8日)

  春の光はどこまでもまばゆく、生きとし生けるものすべてが躍動する新たな季節となりました。本日ここに、PTA会長様をご来賓に迎え、記念すべき第百回入学式を挙行できますことは、私たちにとりまして大きな喜びでございます。

 学校を代表して、心から厚く感謝申し上げますとともに、ご多忙の中をご列席いただきました保護者の皆様に、心から御礼申し上げます。ありがとうございます。

 ただ今、入学を許可いたしました三百十九名の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今、この瞬間から、皆さんは松高生と呼ばれます。

本校は、この百年の間ぶれることなく、建学の精神である「文武不岐」を貫いてきました。この言葉は、江戸時代の水戸藩の藩校、弘道館設立の際に、藩主であった徳川斉(なり)昭(あき)と儒学者、藤田東湖によって定められた『弘道館記』の中の一節をもととしています。弘道館で学ぶ藩士の心得として「文武不岐(文武岐(わか)れず)、学問事業 不殊其効(学問事業、其の効(こう)を殊(こと)にせず)」と続きます。     

もとより本校は儒教に基づく教育機関ではありませんが、百年の間大切に受け継がれてきた文化です。勉学と部活動の両方に全力で当たってください。たとえ勉強で思うように成績が上がらなくても、それを部活動のせいにはしないでください。中学校でよい成績でも、同じように白紙の状態でスタートした高校において、クラスの最下位となる人が出るのは当然です。これまで見たことのないような順位に愕然とするのは当然ですが、それを部活動のせいにするのではなく、次回に頑張るという力にしてほしいと思います。また、部活動で思うような成果が出さないことを勉強のせいにはしないでください。「文武不岐」とはそういうことです。

本校は、諸君を大きく成長させるために、大きな負荷をたくさんかけていきます。そう聞くと、なんて大変な学校に入ってしまったんだろうと思う人がいるかもしれません。そうです。諸君は大変な学校に入ってしまったんです。もう逃げられませんので、落ち込んだり、自信を失ったときには、思いっきりへこんでみてください。思い切ってめげるという経験をぜひ積んでほしいと思います。大丈夫です。我々教職員が、全力で支えます。また、何より諸君は一人ではありません。本校の校歌では「友よ共に」と歌います。これから三年間を一緒に過ごす仲間がいます。

本校には、松高生に対して、こうあって欲しいというあるべき姿、行動指針がいくつもありますが、本日は、私から三つだけお話しします。

一つ目、新たな松高生よ、強くあれ。

諸君には、将来、世界のどこかを支える人になって欲しいと思います。恵まれた資質を持ち、百年の伝統を持つ本校で学ぶ諸君には、その責務があります。そのために、強くなってください。新型コロナウイルス、ロシアによるウクライナ侵攻、環境問題、格差社会など解決すべき課題はいくらでもあります。地球規模の課題だけではありません。身の回りには、諸君の力を必要としていることが必ずあります。世界のどこを支えるのかを探し求めるとともに、ひたむきに頭と心と体を鍛え、強くなってください。

 二つ目、新たな松高生よ、優しくあれ。

人の痛みや悲しみを知り、周りの人をおもんぱかってください。これからできる級友や部活動の先輩、後輩だけではありません。本日一緒に参加してくれている保護者に対してもです。よく保護者の方から「うちは、男の子だから、学校のことや考えていることを何にも話してくれなくて」という声を聞きます。自分の子どもが体調が悪そうだとか、機嫌が悪そうだということを察することはできても、保護者は、超能力者ではありません。諸君から話さないと状況が分からないのは当然です。「親だから、わかってくれているはず」として、不機嫌なままでいるのは、子どもっぽい甘えです。怠慢です。ぜひ、保護者も含めて、周りの人にかける言葉をさがし、話をする力を身につけてください。

 三つ目、新たな松高生よ、格好良くあれ。

格好いい。まさに見た目の問題です。ひと昔前は「学校でも格好つけることはない。素のままの自分でいい」と言われました。が、そんなことはありません。学校は、家ではないのですから、精一杯、格好をつけて、輝く自分を見せてください。姿勢や所作、制服の着こなしもそうですが、挨拶、返事も格好良くしてください。たかが挨拶、されど挨拶です。また、返事一つの大切さに触れた言葉を紹介します。元埼玉県教育長の関根郁夫先生の言葉です。

 

 返事一つに心の明るさ暗さが表れます

 返事一つで意志の強さ弱さがわかります

 返事一つが人を温かくも冷たくもします

 気持ちが落ち込んだ時には

 空元気でもいいですから

 凛とした声で「はい」と返事をしてみましょう

 自分の「はい」の返事で元気が回復してきます

 人の心をつかむのは

 多くの言葉ではなく

 心のこもった返事一つです

 あなたの返事一つが家族を幸せにします

 たかが返事

 されど返事です

 あなたが身につけた凛とした返事は

 あなたの生涯にわたる大きな大きな財産です

 いつまでも返事一つを大切にしてください

 

もちろん、男子校ですので、異性の目を気にして変に強がったり、格好つけたりする必要はありません。大人になる直前の男として、自分を磨いてください。

 以上、新たに松高生となる諸君に三つのあるべき姿を贈ります。新たな松高生よ、強くあれ、優しくあれ、格好よくあれ。

 保護者の皆様にお祝いとお願いを申し上げます。

  本日のご子息のご入学、誠におめでとうございます。そして、今までの子育てのご苦労に対して、改めて敬意を表します。

 ご子息は、本日から歴史と伝統ある松山高等学校の生徒となりました。この三年間は、青春の多感な時期であり、楽しみの多い反面、何かと心を悩まされることも多いかと存じます。学校では、教職員一同、勉学や部活動等の指導に全力を尽くして参りたいと存じます。しかし、ご子息の成長のためには、ご家庭と学校の、連携と協力が何よりも大切です。皆様の温かいご支援とご協力を重ねてお願い申し上げます。

 結びに、新入生の皆さんが、本校で大きく成長されることを心から願い、式辞といたします。

       令和四年四月八日

      埼玉県立松山高等学校長  菅野 義彦  

 

 

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【校長室】令和4年度 始業式(令和4年4月7日)

 おはようございます。

 新しい学年になりました。これから頑張ろうとする諸君に、校長として、ぜひ、自学への取り組みを勧めます。自学自習というときの、自学です。

 自学というと、人から教わらず自分一人でもくもくと勉強するというイメージでとらえる人もいるかもしれません。しかし、そうではありません。先生方から、どんなに多くのことを教えてもらっても、自分で能動的に学ぼうとしない限り、本当の力にはなりません。逆に自分で学ぶ姿勢、学ぶ力を身につけさえすれば、何からでも、誰からでも学ぶことはできます。自学とは、このように自ら学ぶ姿勢や力を身につけ能動的に学ぶことを言います。

 自学とは、表面的には、授業や松高塾や予備校の講座以外の時間に行う“自分で時間を決めて行う勉強”を示します。具体的には、朝早く来て、勉強することを勧めます。自習室が7時半から開いていますので、1時間は勉強時間が取れると思います。自習室でなくても構いません。いままでどおり、教室でも朝自習は可能です。

 部活動で、朝練をやっている人は、一生懸命に朝練に励むと良いと思います。放課後に勉強する人はそれで結構です。ただし、放課後の部活動で時間がない人も多くいます。ぜひ、朝早く来て、自学をすることを勧めます。

 今までは、始業時間の繰り下げなどがあって、早く来ていいのかどうか、よくわからない状態もありました。まん延防止が解除され、新しい学年になった今こそ、変わるチャンスです。夜遅くまでスマホやゲームに没頭し、朝早く起きられず、ボーとしたまま学校に来るという生活を変えるとしたら、親は、大変でも、喜んで早起きに協力してくれると思います。 

 朝自習の勧めに関連して、いつものたとえ話を一つします。

 羊の大群を追う一人の羊飼いの姿を想像してください。果てしない草原でたった一本の棒と一匹の犬で二千頭にもなる羊を上手に操ります。どうしてそんなことができるのか?

 羊という動物は、他の羊が蹄の間から出す分泌腺の匂いを追う性質を持ち、常に集団で行動します。群れているので警戒心が弱く、前の羊のおしりを見ているだけなので、群れ全体の動きも把握していません。草を食べつくしても新たな餌場を自主的に探さずウロウロするだけです。

 この中にヤギを一頭入れます。意外にもヤギは、自分の状況を客観的に判断し、自主的に動きます。ヤギが動くと何頭かの羊がそれに従い、その後、群れ全体がヤギの行動についていくことになります。危険な時、餌場を探す時には、ヤギがリーダーになるのです。羊飼いは、このヤギとヒツジの性質を知っているのです。 

この中の誰かが、羊の中のヤギになってくれることを期待しています。

ただ、羊がダメでヤギがいいのか、と言うと、世の中はそんなに簡単ではありません。その話は、また次回にしたいと思います。                                 以上です。

 

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【校長室】令和3年度 終業式(令和4年3月24日)

先日、生物室へ行って、カラスガイを見せてもらいました。

 これがその写真です。 

  食べることもできるそうですが、このカイは何年目だと思いますか。

  写真だと、本当の大きさはわかりません。また「食用で、何年目か」と聞かれると、先入観によって、2~3年くらいと思い込んでしまったのではないかと思います。

 答えは、約30年だそうです。

沼の底の泥の中で30年間も黙々と生き続けてきました。

人間のように、戦争で殺し合うことも、悲しみや憎しみに押しつぶされることもありません。

逆に、お互いのことを心配したり、助け合ったりすることもないのでしょう。 

時間の流れが、我々とは違うのかもしれません。毎日、時間に追われ、1日1日を何とかやっとの思いで過ごしている我々とは、時間についての感じ方が違うのだと思います。 

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいますが、楽しくない時間はとても長く感じられるというということは。みんなが経験していると思います。

もちろん、実際の生活は、ドラマチックなことだらけというわけではなく、そのほとんどは、平凡な退屈なものです。

ですが、この1年はどうでしたか? 

先日、校長室の掃除に来てくれたある1年生に、「もうすぐ入学して1年だね」と言ったところ、「あっという間でした」と答えてくれました。振り返ってみると「あっという間」ということは一般的にあるにしても、その生徒にとっては、ある意味、この1年が楽しい時間だったのではないか、少なくとも充実した時間だったのではないかと、思います。そうあってほしいと思います。 

明日からの春休みも、限られた時間しかありません。4月7日に、全員がそろって始業式を迎えたとき、「春休みはあっという間だった」と言えるように、楽しい充実した時間になることを期待しています。年度の最後にあたり、時間の流れについて考えてほしいという話をしました。

ちなみに、このカラスガイは、絶滅危惧種に指定されています。30㎝を超えるものは特に珍しく、この後、研究機関に送られます。沼の泥と格闘し、採り終わったときには2㎏も体重が減っていたという先生の苦労も報われるといいなと思います。    以上です。

 

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【校長室】令和3年度 冬季休業後全校集会(令和4年1月11日)

 明けましておめでとうございます。

 コロナの感染状況を考慮して、今回は安全策をとってオンラインの集会としました。諸君は、今まで以上に感染防止に努めてください。これまでと同様に、誰が感染してもおかしくない状況になりつつありますので、感染した人を探ったり、攻撃したりすることは厳に慎んでください。

 これまでいろいろなたとえ話をして諸君に考えてもらおうと思って話をしてきました。

 ・「ファーストペンギンになるな」として、「自分で決めろ」ということ

 ・「ニホンムラサキ」では、「自分ひとりでも学べ」ということ

 ・「完全変態の勧め」では、「自分で変われ」ということ

 要は、自分から頑張れという事です。

 ですが、いつも「頑張れ」では、聞かされている諸君も疲れてしまうと思うので、3学年全員が集まる最後の機会ですので、今日は、違う視点で、やわらかく、ゆるい気持ちの大切さをうたった1つの詩を紹介します。 

 吉野弘という埼玉県の詩人です。「祝婚歌」という詩です。本来は、これから結婚しようとするカップルに向けた詩ですが、人と人の付き合い方で大切なことを示していると思いますので、参考にしてください。 

祝婚歌(吉野弘) 

  2人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい

  立派すぎないほうがいい

  立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい

  完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと

  うそぶいているほうがいい

  2人のうちどちらかが ふざけているほうがいい

  ずっこけているほうがいい

  互いに非難することがあっても 非難できる資格が

  自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい

  正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい

  正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと

  気づいているほうがいい

  立派でありたいとか 正しくありたいとかいう

  無理な緊張には 色目をつかわず ゆったり ゆたかに

  光を浴びているほうがいい

  健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに

  ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい

  そして なぜ胸が熱くなるのか

  黙っていても 2人にはわかるのであってほしい 

 特に3年生は、法律が変わって、4月1日から全員そろって、法律上は成人になります。人との付き合い方にも、大人としての対応が求められます。卒業後に多くの人に出会ったときに思い出してくれると嬉しいです。

 ただ、もっと厳しい言葉が今必要だと思う人は、松高新聞を読んで下さい。

 今年一年が、一人ひとりにとって最高の年になることを願っています。 以上です。

 

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【校長室】令和3年度 冬季休業前全校集会(令和3年12月24日)

 前期の「ファーストペンギンになるな」、「ニホンムラサキのように」に次いで、今日は、虫のたとえ話です。校長はたとえ話で結局何を言いたいのかを考えて、聞いてください。 

 代表的な虫であるアリですが、標準的なものは体重が0.004gです。地球上にアリは1京(兆の1万倍)いるそうです。すべてのアリの体重を合計すると400兆gとなります。それに比べて、すべての人間は67億人いるとして、60kg平均だと、やはり400兆gです。つまり、アリの全体重と人間の全体重はほぼ同じとなります。

 同様に考えて、すべての昆虫の全体重とすべての哺乳類では、すべての昆虫の方が重いのだそうです。昆虫の種類は、分かっているだけで100万種。まだまだ新種が見つかっています。昆虫は、ほ乳類よりも繁栄していると言っても過言ではないかもしれません。 

 昆虫がこんなに繁栄した理由は大きく2つあると言われています。

●1つは、幼虫の時の姿から、サナギを経て、成虫になると、その姿を大きく変えること、すなわち「変態」です。昆虫の80%は完全変態です。変態するということは、幼虫と成虫が完全に分業することを意味します。幼虫は、エサの豊富なところで、食べることだけに専念し、確実に成長することだけを目標に生活します。体の構造も、口と消化器官のみを発達させ、その他の器官の発達を一切無視しています。

●もう1つは、変態の後に飛ぶ力を身につけたということです。地球上で一番最初に空を飛んだ生物は、昆虫だそうです。4億年前のことでした。現在、昆虫の99%は飛翔します。飛翔力を持つことによって、行動の在り方が劇的に変わります。生活圏を水平方向にも垂直方向にも、文字通り飛躍的に広げられるからです。その行動範囲も一気に広がります。遺伝的に離れた配偶者とも遭遇できるようになりました。遺伝的多様性を獲得することによって、結果的に100万種以上の昆虫を地球上に生み出すことにもなりました。飛翔力は、昆虫が地球上に繫栄できた大きな要因の一つです。 

 さて、私がどんなたとえ話をしたいかわかってくれた諸君もいると思いますが、この昆虫のライフサイクルを、高校生活に例えてみます。

●まずは1年生。幼虫です。ひたすらに大きくなることに専念するときです。例えばカブトムシでは、大きなカブトムシと小さなカブトムシがいます。この大きさの違いは、幼虫時代にどれくらい栄養をとれたかによって決まってきます。成虫になってからはほとんど大きさに変化はありません。ノコギリクワガタのオスでは、体の大きさだけではなくハサミの形さえ変わってしまいます。大きいノコギリクワガタのハサミはカーブを描きますが、小型のものは、まっすぐで貧弱です。

1年生の諸君は、本校の「文武不岐」を通して、大きく成長してください。まだあと3カ月もあります。そのためにも冬休みから、自学自習力を身につけてください。年末年始を除いては、自習室も使えます。

●次に2年生。サナギです。特に、今から3年生の6月くらいまでがサナギの季節だと思います。サナギは一見すると全く動かず、何もせずただ眠っているように見えます。しかし、さなぎのカプセルの中では、次に成虫になるための様々な器官を作っています。一切エサをとらず、幼虫時代に蓄えた栄養のみで乗り切ります。必死の思いで、自分の体の構造を作り変えています。

2年生の諸君は、幼い自分から、甘い自分から脱却してください。やがて成虫になり、雄々しく空に飛び立つ体になるために、目に見えない必死の努力を期待しています。

●そして3年生。諸君は、見事に完全変態を遂げ、立派な成虫になりました。どこまでも自分の意志で飛んでいける力強い羽も身につけました。少々の風や外からの圧力に負けない、外骨格を身につけています。そして、何よりも、一斉に飛び立つ仲間もいます。

あと3カ月です。自分の幼虫時代に蓄えた体力を信じ、サナギ時代に作り上げた羽を信じて、飛び立つ準備をしてください。最後の最後まで、羽に磨きをかけてください。年末年始を除き、自習室は開放します。 

では、まずはメリークリスマス。 そして、良いお年を迎えてください。  以上です。

 

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【校長室】R3年度比企一周駅伝大会 開会式(全校生徒 体育館) 03.11.24

 まず、3年生にお願いです。ここで、駅伝大会のことをリアルに知っているのは、3年生だけです。2年前のことを思い出して、1年生、2年生に教えてあげてください。特に、各中継所でスタッフになる人は、何をすればいいかわかっていません。

 

 特に、スタッフになる諸君は、朝、保護者にあったら何を言うのですか?・・・本来ならば「一緒に頑張りましょう」かもしれませんが、それだと、あまりにも生意気なので、やはり「よろしくお願いします」だと思います。

 明日の大会に協力してくれる保護者の数は、465人。全校生徒が訳950名ですので、ほぼ半数です。お客さんとして見に来るのではなく、一緒に大会を作ってくれる保護者が半分もいるなんて、ふつうは考えられません。

 ところが、実はそれだけではありません。保護者の方が仕事を休んできているということは、その代わりに会社の誰かが、その分をやっているわけです。その数は、もうわかりません。

 また、明日のコースで、工事個所があるのですが、工事を一時止めてもらっています。工事期間が延びるわけで、その分の仕事をする人がいるわけです。その数は、もうわかりません。

 このように、「高校生が走る」。たったそのことだけのために、実は、はるかに多くの人、それも見えない人の力が集まっています。想像力を働かせてみてください。

                                                                                                 

 そうした中で、特にスタッフになる人は、言われたことだけをこなせばいいとは思いません。言われなくてもどれだけのことができるか、そこが君たちの能力の見せ所です。やっていいかどうかわからないときには、あえて声に出して「○○やります」と言えばいい。3年生や保護者の方が聞いてくれます。黙って見ているだけの人になるか、気が利く人になるか。大いに期待しています。

 

 スタッフになる人を中心に話をしましたが、走る人へ一言です。

 明日は、「愛する者のために走れ」。

朝、「行ってらっしゃい」と送り出してくれた人か、

次のデートの時に「頑張ったね」って微笑んでくれる○○女子高校の人か、

自分大好きという人は、愛する自分の誇りのためか。

・・・「愛する者のために走れ」。私からの応援メッセージです。

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【校長室】令和3年度 体育祭(陸上競技場) 03.10.07

 この広い空を見よ

 

 「空は晴れたり」とはいかなかったが、この広さを感じてほしい。

  (「空は晴れたり」は、本校第一応援歌)

 

 比べると、日頃の問題集や参考書の、なんと小さいことか。

 

 まして、スマホの画面の、なんと小さいことか。

 

 昨日までの悩みごとの、なんと小さいことか。

 

 この空の広さを感じると、「空は晴れたり」にうたわれるように、気持ちは澄んで透明になり、雑念が消え、集中できる。

 

 今日は、まさに「若き血潮のたぎる時」であり、「技を見せるはこの時ぞ」。

 思う存分、走ってほしい。

 

 しかし、まだ、「空は晴れたり」は歌えない。

 この体育祭で、コロナの感染が拡大したら、大変なことになる。みんなで歌えるときは、必ず来る。考えて、慎重に行動してほしい。

 

 今日は、この空の広さを感じて、心の中で「空は晴れたり」を思い描いて、頑張ってほしい。

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【校長室】前期・後期の区切りの全校集会(ZOOM) 03.09.30

 始業式ではペンギンの話、夏休み前の全校集会ではニホンムラサキの話をしました。たとえ話から、校長は何を言いたいのかを考えてもらいたいと思っています。

 今回は、たとえ話ではありません。一人の少年を紹介します。その少年は、小学生の時にテレビでツタンカーメンの黄金のマスクが画面いっぱいに映るのを見て衝撃を受けました。ツタンカーメン王の墓を発見したカーター博士の『ツタンカーメン王のひみつ』という本を何回も読み返しました。やがて中学生になった少年は、池袋の西武百貨店で開かれた古代エジプト展というイベントの際に、ピラミッドの模型作りに参加しました。本当に古代エジプトのロマンが好きでした。当時、古代エジプト学者としてテレビにもよく出ていた吉村作治先生とも、そこでお会いしました。

 まあ、ここまでは、「子どもの時に好きだったことってあるよ」ということで、諸君にも思い当たることがあるのではないでしょうか? それこそ、動物が好きだった。乗り物が好きだったとか。サッカーが好きだった、カードゲームが好きだったということなどにも通じるものがあるのかもしれません。

 その少年は、成長し、ある男子高校に進学し、その後、早稲田大学に入学します。さきほど話した吉村作治先生が早稲田大学の助教授だったからです。

 その後、その元少年は、吉村先生とも一緒にエジプトの発掘に携わり、おととしには、ローマ帝国がエジプトを支配していた時代のカタコンベを発見し、ナイル川流域で初の発見ということから報道で大きく取り上げられました。

 その元少年は、来月、10月から上野の国立科学博物館で開催される「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」というイベントの監修を行います。古代エジプトというと、歴史、世界史ですが、それを文系の国立博物館ではなく理系の科学博物館で行うというところがポイントです。

 諸君は、文系と理系に分かれて勉強をしています。受験のためには、その方が効率的だからです。でも、当たり前ですが、世の中は、文系と理系に分かれてはいません。どちらのアプローチの仕方も必要とされる時代です。だからこそ、理系の科学博物館で開かれる古代エジプト展の意味があるのです。

 私は、この元少年を松高に呼んで、諸君に直接お話をしてもらいたいと考えています。現在は、国立の金沢大学の教授に就任されている 河合 望 先生です。諸君の進むべき道にも、多くのヒントを与えてくれると思います。それは、河合望先生が、本校の卒業生だからです。

 

 来週の火曜日、7日の体育祭をはじめ、後期も面白いことをまだまだ用意しています。ぜひ、楽しんでいきましょう。

 

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【校長室】令和3年度 前期全校集会(夏休み前) 03.07.20

○新型コロナに対する生徒諸君のこれまでの、冷静で適切な行動に感謝しています。ただし、現在はまた、危うい状況にあります。誰が感染しても不思議ではありません。もし感染者が出て、部活動や松高塾などの夏休み中の活動に支障が出たとしても、また、休み明けの松高祭に影響が出たとしても、個人を特定し、非難をすることのないようにお願いします。

○その松高祭ですが、埼玉県の方針に基づいて、来場者は諸君の保護者のみの限定公開とします。少しでも松高祭が盛り上がるようにと、せめて中学生とその保護者をお呼びしたいと考えて、先生方も工夫をしてくださいましたが、残念ながら、変更します。予定変更で困惑させてしまったことを申し訳なく思っています。

 先のことが見通せない情勢において、確実なことは、「今、こうして、リモートですが、生徒諸君に話ができていること」です。明日からの夏休みを前にして、諸君も、教室で、クラスメイトと一緒にいる」ということは、確かなことです。昨年の前半は、こうしてそろっていることすらできませんでした。今できること、今やるべきことの大切さを、あらためて感じてほしいと思います。

 

 

○生物実験室の前に、ニホンムラサキの白く、小さな花が咲きました。「ゆかりの色の 紫にほふ」と本校校歌に歌われているムラサキの花です。近い種類のセイヨウムラサキに押され、栽培が難しいことから、現在はレッドデータブックに載っている絶滅危惧種になっています。その根は、古代から紫色の染料として用いられてきました。また、シコニンという物質を含んでいることから、その殺菌作用によって生薬として使用されています。我々にとって、有益な、そしてかつては身近な植物の一つでした。

○ぜひ、生物実験室前に見に行ってください。私も見に行きましたが、理科の先生に聞かないと、どれかわかりませんでした。周りに生えている普通の雑草と見分けがつきません。運が良ければ、そのあまりにも可憐な、白く、小さな花を見る事が出来るかもしれません。丁度、今の季節が花の季節です。しかし、ずっと咲いているわけではありません。白く、小さな花は、2、3日で消えてしまいます。

 ○ニホンムラサキの花も、その時できること、その時にやるべきことを精一杯やっているように感じます。絶滅危惧種ですので、周りに仲間はあまりいません。本来は群れて咲くことから「群ら咲き」という名がついたとも言われます。だからこそ、かえって現在の孤独を強く感じているような気がします。

○ひとりだけど、たった一人でも、今できることを精一杯やる。諸君の夏休みの過ごし方の参考になればと思います。

 

○8月27日に、全員が学校にそろって集まれることを願っています。

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【校長室】令和3年度球技大会 開会式(グラウンド) 03.05.27

はじめて、全校生徒が集まった。

 

この機会に、諸君に問いたい。

 「真の松高生」とは何か?

 答えは一つではないだろう。それぞれが考え抜いてほしい。

 私の答えの一つが、「目の前のことに本気になる人」。

 今日、明日の球技大会で、その姿を見せてくれることを期待する。

 

今回、実行委員会が考えたスローガンは

  「本能で動け 野獣の祭典!」 と聞いた。

 ならばその野獣の姿を見せてもらおう。

 だが、しかし

 我々教職員は、「常勝だ!」

     (教職員はそろいのポロシャツ姿。その背中に「常勝」の文字)

 諸君の挑戦を受けて立つ。

 そして、野獣を倒す!

 

「真の松高生」に近づくことを期待している。 

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第99回入学式 式辞 03.04.08

 春の光はどこまでもまばゆく、生きとし生けるものすべてが躍動する新たな季節となりました。本日ここに、PTA副会長 田村 裕(たむら ひろし)様をご来賓に迎え、埼玉県立松山高等学校 第九十九回入学式を挙行できますことは、私たちにとりまして大きな喜びでございます。

 学校を代表して、心から厚く感謝申し上げますとともに、ご多忙の中をご列席いただきました保護者の皆様に、心から御礼申し上げます。

 

 ただ今、入学を許可いたしました三百十七名の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。皆さんは、今日から、松高生の一員です。我々は、皆さんが来るのを待っていました。皆さんを歓迎します。本校は、「文武不岐」を建学の精神として、九十八年の歴史を築いてきました。これからは、皆さんの力によって、百年の、その先につながるさらにより良い伝統が積み重ねられていくことを願っています。

 皆さんの高校生活の開始をここに宣言します。

 この三年間で世の中のリーダーになる力を身につけてほしいと思います。東日本大震災の痛みが完全には癒えぬまま、新型コロナウイルスは地球規模の課題となっています。「新冷戦」とも言われる国際関係、環境問題、格差の拡大など、チャレンジに値する事柄はたくさんあります。将来、自分が置かれた場所で、リーダーシップを発揮し、自分と家族と周りの人の役に立つ、そういう人になってください。

 そのため、本校では皆さんの持てる力を最大限に発揮してもらいます。楽をするために本校に入ったのではないはずです。「どうして、こんな大変なことをしなければならないのか」と、理不尽に思うこともあるでしょう。「できないかもしれない」と、不安になることもあるでしょう。気持ちをコントロールできずに勇気が持てないときには、安心して「不安です。怖いです。」と我々に言ってください。必ず支えます。

 これから未知の世界に飛び込んでいこうとする皆さんに、エールを送ります。坂村真民(さかむら しんみん)という詩人の詩を紹介します。『鳥は飛ばねばならぬ』という詩です。心静かに、聞いてください。

 

 人は生きねばならぬ

 怒涛の海を飛びゆく鳥のように

 混沌の世を生きねばならぬ

 鳥は本能的に 暗黒を突破すれば 光明の島に着くことを知っている

 そのように人も 一寸先は闇ではなく 光であることを知らねばならぬ

 新しい年を迎えた日の朝 私に与えられた命題

 鳥は飛ばねばならぬ

 人は生きねばならぬ

 

 私は、この詩の中に、『覚悟』という言葉を読み取りました。『覚悟』というと切羽詰まった悲壮な感じもありますが、決してそうではなく、これから先にある「光」を目指して飛んで行くんだという強い意志だと思います。新入生の皆さんにも「光」を目指してとびこんで行こうという強い意志を持ってもらいたいと思います。

 その際、自分の可能性に関するリミッターを外してください。

 もう一つ、皆さんに期待を込めて、話をします。わかりやすいたとえ話です。

インドやタイでは、ゾウ使いがいます。大きなゾウは、足を鎖につながれて、木の杭につながれています。決して、大きな木の杭ではありません。ゾウの力で引っ張れば、簡単に抜けてしまうそうです。 なぜ、逃げないのでしょうか?

 小さい時から人間に飼われているゾウは、小さい時から、その小さな木の杭につながれています。もちろん、力が弱いので杭から逃げることができません。成長し、大人になっても、杭から逃げることはできないと思っているのです。そういう発想自体がないようです。やろうと思えば、簡単にできるはずなのに、そういうことを考えもしないということです。

 みなさんは、どうですか? 部活動でも、進路でも、勉強でも、「できるはずがない」、「あれは、違う世界のことだから」ということはないですか? そういう発想自体持っていないということはありませんか? 

 よく見ると、簡単に抜ける杭かもしれません。抜けるかもしれない杭に縛られることなく、自分を見つめてほしいと思います。

やがて、この学校を去っていく千日後には、自分でも驚くほど大きく成長した姿になっていると思います。家族の深い愛情に対する最大の恩返しは、君たち一人一人が高校生活を充実させ、大きな志をもって本校を巣立つことであるという事を胆に銘じて下さい。

 保護者の皆様にお祝いとお願いを申し上げます。

  本日のお子様のご入学、誠におめでとうございます。そして、今までの子育てのご苦労に対して、改めて敬意を表します。

 お子様は、本日から歴史と伝統ある松山高等学校の生徒となりました。この三年間は、青春の多感な時期であり、楽しみの多い反面、何かと心を悩まされることも多いかと存じます。学校では、教職員一同、勉学や部活動等の指導に全力を尽くして参りたいと存じます。しかし、指導の効果を最大に高めるためには、ご家庭と学校の連携と協力が何よりも大切です。皆様の温かいご支援とご協力を重ねてお願い申し上げます。

 結びに、新入生の皆さんが、本校で大きく成長されることを心から願い、式辞といたします。

       令和三年四月八日

               埼玉県立松山高等学校長  菅野 義彦

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令和3年度 前期始業式(体育館 2.3年生)

 おはようございます。

 3年生にとっては久しぶりに、また2年生には初めての、リモートではない式だと思います。できれば、こういう形を続けたいと思っています。しかし、新型コロナはまた拡大しています。体育祭や文化祭などの行事もできなくなる可能性もありますので、決して油断しないようにお願いします。

 さて、私はこれから1年間、いろいろなたとえ話やエピソードをとおして、「こういう人間になって欲しい。こういうことを考えてほしい。」という話をします。「結局、校長はなにを言いたいのか」を考えながら、心静かに聞いてください。

 今日は、ペンギンの話、ファーストペンギンという話をします。明治時代の実業家、五代友厚が言ったと、6年前のテレビの連続ドラマで有名になりました。野生のペンギンは群れで生活しています。特に子育ては陸上で行います。陸上の巣からエサである魚を取るために、海に向かってヨチヨチとかなりの距離を歩いていきます。ようやく海にたどり着いても、海に飛び込むのが怖いので、大きな岩の上で一つに固まりなかなか飛び込めません。海には、天敵のアシカ、シャチが潜んでいるかもしれないからです。でも、その中の勇気のある1羽が思い切って海に飛び込みます。すると、その後を追って、次々にペンギンたちは海に飛び込んでいきます。このことから、勇気をもって第一歩を踏み出す人、自らの進路を自らで開いていく人のことを「最初のペンギン、ファーストペンギン」と例えて言います。

もう、私が言いたいことの結論はわかったと思いますが、

 でも、本当は違います。ある生物の先生に聞いた話ですが、ファーストペンギンは、勇気のあるペンギンではないのです。

 やはり、ペンギンにとって、海の中は怖いんです。天敵のアシカやシャチが待ち受けていて、飛び込めば襲われてしまうかもしれません。とても怖いので、自ら一番最初には絶対にに飛び込みません。そんな気持ちを持ったペンギンたちが狭い岩場で押しあっているのです。そのうちに、誰かに押されたのか、自らバランスを崩したのか、その中の一羽が偶然、海に落ちます。それが合図となって、すべてのペンギンが海になだれ込んでいく、というのが本当のところだそうです。

 だからこそ、皆さんにはファーストペンギンになってほしくないのです。特に3年生、自らの進路を選ぶときに、「誰かに言われたから」とか、「なんとなく」、「たまたま」で、自分の進路を決めてもらいたくないのです。たとえ誰かに背中を押されたとしても、最後の決断は、自分で、責任を持ってやってください。「責任」というのは、「覚悟」です。

 海を前にしたペンギンと一緒で、先のことを考えると、漠然とした不安が多いと思います。でも、海の中にはおいしいエサがあります。本校を卒業した先には、嬉しいこともたくさんあります。「覚悟」をもって、自らの進路を選んでください。

 2年生の部活動も、勉強も同じです。「誰かに押されたから」では、やらされているだけです。ファーストペンギンになることなく、「覚悟」をもって、取り組んでほしいと思います。

 学校は、君たちを応援します。応援したくなる、そういう姿を続けてください。

                                   以上です。

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